masahikoweb


2015/12/21 Mon

タンペレ

ヘルシンキ・サンクトペテルブルク旅行

7泊8日間の、ヘルシンキ(フィンランド)・サンクトペテルブルク(ロシア)旅行に、友人とふたりで行ってきた。
初海外。ツアーなし。

待ち合わせはヘルシンキ現地集合。
12月13日(日)の夕方ごろヘルシンキに到着。ヘルシンキで2泊、サンクトペテルブルクで3泊、ヘルシンキに戻って2泊。
私にとっては、ただの旅行ではなく、自分自身や日本を改めて見つめ直すことができ、様々な刺激があった旅行だった。
英語もフィンランド語もロシア語も文化も歴史もよく知らないので、友人に助けてもらいながらの旅行。

行きたい観光名所がたくさんある、とかではなく、行くこと自体、あとは、現地の文化を体感することが主な目的。現地で、自分たちで店を選んで入ったり、予定をざっくり立ててあとは気ままに歩いてみたり。

事のはじまりと準備

事のはじまりは、1年ほど前にロシアのシベリア鉄道の旅に行かないかと誘われたこと。
その後、仕事を辞め、時間ができたが、ロシアの情勢が悪くなり、その旅行は白紙に。
夏に、再度別の場所(東南アジア)に旅行の計画を立てたが、いろいろあり断念。
お互いに時間ができ、自分もお金に余裕ができたので、友人が行きたがっていたフィンランド旅行に決定。

ひと月ほど前にパスポートを取り、ビザの申請代行をして、ぎりぎりにパスポートが戻ってくる。
その間は、ガイドブックを見たり、旅行に必要な買い物をしたり。ホテルやチケットの手配などはほとんど友人がしてくれた。

12月13日(日) 1日目

ヘルシンキ

成田国際空港に向かう。成田からヘルシンキのヴァンダー国際空港には、約10時間。
成田空港に着いて、ユーロに両替をする。バスに乗るのに小銭があったほうがいいと言われていたが、小銭はもらえなかった。日本円の小銭が多く余ってしまった。
搭乗時間まで1時間以上あると思って余裕ぶっこいてたら、搭乗受付締め切りのアナウンスが流れてあわてて受付に行く。
機内では、機内食が2回出る。その間は電気が消え、就寝タイム。昼間だけど、眠かったので眠れた。その前後には映画を2本見る。思いのほか、足を動かせず、足が痛い。
ヘルシンキに無事到着。狭い空港だと聞いていたけど、思ったよりも広くて地図の縮尺を間違っていたため、若干迷子。その後、入国審査もなんとか通り、Wi-Fiもつながって連絡を取り合い、1時間後くらいにヘルシンキに到着した友人と無事落ち合う。
時刻は現地時刻で12月13日、日曜日、17時。
バスでヘルシンキ駅まで行く。宿は、そこから歩いて10分ほどのドミトリー。1日目はスーパーで買い物するだけにとどめる。

海外に来るまでは、「来たら、テンション上がりすぎて雪に飛び込んでしまいそう」と思ってたけど、そんなでもなかった。雪も積もってなかったし。

ドミトリーのある宿のキッチン

12月14日(月) 2日目

マーケット

朝、宿を出発し、ヘルシンキ大聖堂。港、マーケット。船の近くまで来て、そのまま近くの公園を歩く。
その後はバスで、ヘルシンキ動物園。小さな島丸ごと動物園。お客さんがほとんどいない。見たことのない動物も多かった。お昼ご飯はそこで食べる。島から見える夕焼けがきれいだった。
夜は、本屋のカフェ。『カモメ食堂』の映画の冒頭のほうで使われたカフェ。

ファンタ 友人 動物園

12月15日(火) 3日目

サンクトペテルブルク

朝、ロシアのサンクトペテルブルク行きの電車に乗る。
駅に着いて、ユーロからルーブルに両替をし、地下鉄に乗って、ホテル近くの駅に移動。ホテルがなかなか見つからない。悪戦苦闘の末、見つける。
お昼ご飯を食べに外に。ボルシチを食べる。おいしい。
北極南極博物館に行く。
夜はスーパーマーケットで買ったものを食べる。
ちなみに、地下鉄はつり革はなく、棒をつかむようになっているけど、その棒ですらつかむ人が少ないにも関わらず、みんな電車のゆれで倒れない。

サンクトペテルブルク ホテル

12月16日(水) 4日目

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館に向かう。
そこの前に、貴族のコスプレをした人と写真を撮ったら200ルーブル(300〜400円)せびられる。
エルミタージュ美術館の中へ。お昼はそこの中のカフェ。
興味のあるものだけ、少し立ち止まって、それ以外はゆっくり歩いたり早歩きをしたり。それでも、全部見るのに、5時間くらいかかった。いや、多分、全部見れてない。途中からどこを見てないかわからなくなってきた。美術作品もそうだけど、建物の中の装飾も半端なくすごい。友人と裸の男の像を見ながら「短小包茎がいいとされていた。蛮族はずるむけで巨根」と聞いてから、ち○こばっかり見てた。
夜ご飯は近くの店。

コスプレ 街

12月17日(木) 5日目

イサアク大聖堂

聖イサアク大聖堂。装飾ヤバい。語彙力なくなるくらいヤバい。
そこの上から見る景色もいい。
サンクトペテルブルク総合大学の学食でお昼。自分が行きたいと言いだした。それに乗ってくれるノリと、友人のロシア語スキルがあってこそ実現できたかもしれない。自分一人だと行ってなかったかも。学生に混じりながらご飯を食べるというツアーではできないような体験してきた。ご飯はおいしくない。
動物学博物館。すごい数の動物の剥製やホルマリン漬けなど。
クンストカメラ。人体標本が一番の見所。ヤバい。これもヤバい。一つ目の子どもや双頭の子のホルマリン漬け。夢に出てきそう。ちなみに、クンストカメラで検索すると、有無をいわずそのグロテスクな画像も出てくるので注意。それだけの博物館じゃないんだけどね。
スパース・ナ・クラヴィー大聖堂(血の上の救世主教会)を外観だけ眺める。
夜は寿司バー。怖いもの見たさで来てみたかった。味は、日本で売ってるパックの寿司と大差ない感じ。

イサアク大聖堂から サンクトペテルブルク総合大学

12月18日(金) 6日目

かもめ食堂

ヘルシンキに戻る。
お土産屋探しのついでに、そのまま少し歩いて、夜は、映画『かもめ食堂』の舞台のカフェへ。
味はおいしくないと別の友人から聞いていたけど、おいしかった。日本人が多い。半分以上日本人。なんだろう、海外で日本人を見つけたときの安心感。

ドミトリー

12月19日(土) 7日目

タンペレ

タンペレに電車で移動。ムーミン博物館へ。ムーミンの家の模型がすごい。
そのあと、フィンランドのチョコレートメーカーのFazer(ファッツェル)のカフェへ。

タンペレ ファッツェルのカフェ

12月20日(日) 8日目

寺院

ウスペンスキー寺院。
市場のカフェでお昼をしたあと、昼過ぎに空港に向かう。
日本時間の21日に日本の名古屋に帰国。乗り継いで成田へ。

その他様々な情報や感じたことなど

■総額

きちんと計算していないけど、ざっくり20万円くらい。

・飛行機 10万円
・宿 2万円(7泊)
・電車・バス 3万円(タンペレ往復、サンクトペテルブルク往復が主)
・食費・お土産・観光・ビザ申請代行 5万円

■日本との時差

ヘルシンキ:-7時間
サンクトペテルブルク:-6時間

■日照時間

9時〜15時くらい。8時くらいに明るくなりはじめ、16時くらいには暗くなる。ずっと夕方のような感じ。

■レート

1ユーロ 約130円(フィンランド)
1ルーブル 約1.7円(ロシア)

■ご飯と物価

フィンランドは福祉国家なので基本的に全部高め。ロシアは情勢悪化などいろいろあって日本円に換算するととても安い。数年前は1ルーブル3円とかだったらしい。
同じもの食べても、フィンランドとロシアで2倍くらい違っていたんじゃないかな。

■天候

曇りか雨か雪。あんまり雪は積もってなかった。

■服装と気温

・厚めのダウン
・セーター
・タートルネックの薄目の服
・肌着(ヒートテック系の)
・ズボン下
・ズボン
・ニット帽
・ネックウォーマー(マフラーだとかさばるため)
・手袋(百均のやつ)
・ボアつきブーツ(むしろ暑過ぎるくらい)
・靴下
・下着

最低気温は0度前後。
上記の服で十分。店のなかでは2枚くらいにならないと暑い。

■持っていったもの(上記の服装以外)

・26リットルのリュック
・折り畳める小さめのリュック
・印刷したチケット(+コピー)
・パスポート(+コピー)
・クレジットカード
・保険証のコピー
・防犯チェーン
・ダイヤル式南京錠
・紐つき洗濯バサミ
・洗濯用の紐
・洗濯ネット
・ガイドブック
・レインコート
・薄いダウンコート
・カメラと充電器とSDカードと予備のSDカード
・暇つぶしの本
・トランプ
・ケータイ用モバイルバッテリー
・ビニール袋
・手鏡
・歯ブラシ
・マスク
・ポケットティッシュ
・髭剃りローションと髭剃り
・ワックス
・シャンプーとリンスとボディーソープと洗顔フォーム
・除菌ペーパー
・タオル
・替えの肌着と下着と靴下と使い捨ての下着
・その他生理用品もろもろ

■持っていけばよかったもの

・風邪薬(出発時にないことに気づいてそのまま)

■特に使ってないもの

・洗濯ネット(洗濯機がなかった)
・トランプ(ドミトリーはそんな雰囲気じゃないし、遊ぶ余力がなかった)
・レインコート(あんまり雨が降らなかったし、降っても使わない程度)
・防犯チェーン(ドミトリーも、みんな置きっぱなし、南京錠つけるくらい)

■荷物

26リットルのリュックにすべて詰めなければいけないので、あんまり持っていけなかった。そもそも、リュックを買うとき、30リットル以上だととたんに登山用的なデザインになるので、26リットルくらいでも足りるだろうと思って買った。
目安は30リットルで2泊3日。1週間で70リットルくらい。切り詰めれば、1週間でも30リットルくらいで足りるらしい。
で、実際足りた。かなり切り詰めて。一眼レフのカメラをあきらめようかと思ったけど、それは死守。替えのレンズはあきらめた。服はかさばるので、着れるものは着ていった。
帰りは、リュック+お土産用の袋。

■暇つぶしの本

『タイムマシンの話 超高速粒子とメタ相対論』という本を買って持っていった。こういう機会でもないと、仕事関連以外の本を読む機会がない。フィクションの小説を買おうとも思ったけど、面白くなかったら嫌だなと思って買わなかった。実際に暇な時間はそれほどなかったけど、読み切るだけの時間はあった。

■お金

ヘルシンキはほとんどの店でクレジットカードが使える。現金を使わなくてはいけない場面がほとんどない。
サンクトペテルブルクはまちまち。大きな額の札を受け取ってもらえなくて、かつクレジットカードも使えなくて英語も通じない美術館はあせった。結局友人に立て替えてもらった。

■体調

慣れない土地、凍てつく外気、寒暖の差が激しい外と店内、暖房つけっぱなしのドミトリーとホテル。風邪をひかないわけがなかった。
風邪薬を持ってきてなかったので、友人にロシア語で頑張ってもらって薬を買ってもらった。

■予定を立てないということ

友人が、同じ部屋の人と仲良くなって、その人たちと一緒に観光しないかと言われたけど、次の日の切符(タンペレ行き)を買っていたこともあり、一緒に行くことはなくなった。もし、チケットを先に買っていなかったとしてもどうなっていたかはわからないけど、あまりガチガチに予定を立てすぎないのも旅の醍醐味かもしれない。

■治安

ヘルシンキもサンクトペテルブルクも悪くない。サンクトペテルブルクは少し治安が悪いとガイドブックにも載っていたけど、そういう実感はしてない。
携帯電話と財布とパスポートは常にズボンの前のポケットに。
ドミトリーや外で歩くときにたまに、リュックに南京錠をかけていたくらい。

■会話スキル

私の英会話スキルは、本当に簡単な会話ができる程度、出国審査では2回聞かないとわからない程度のレベル。
友人は、英語は仕事にしているくらいで雑談も普通にできるレベル。ロシア語は簡単な会話ができるレベル。
なにかの交渉は基本的に友人。カフェやスーパーマーケットなどで別会計するときは、基本的に友人が先に会計をして、それから私が会計をすることが多かった。たまにわからない言葉が出てくるので、そのときには助けてもらった。

■言葉

ヘンシンキは、ほとんどの人に英語が通じる。よっぱらったおっちゃんや物乞いですら私よりも英語がうまい。
旅行の最後のほうは買い物のときに「モイ(やあ)」と声を交わし、「キートス(ありがとう)」と言って買い物をしてた。
サンクトペテルブルクは、ほとんど英語は通じない。英語を拒絶したり、「How much?」が通じない人がいたり、最初から最後までロシア語で突き通してくる店員が多い、そして無愛想。もちろん、愛想がよくて英語も話せる人もいる。

■ヘルシンキの宿

ヘルシンキは友人と別々の部屋でドミトリー。「ホステル・エロッタジャンプイスト」というところ。1部屋3つの2段ベッド(6つのベッド)。男女混合の部屋。国籍もバラバラ。日本人の人もちらほら。
ドミトリーの方の宿は、寝る場所とトイレとシャワー室と台所がある。色んな国の人が来ていて、1泊2泊だけのが多い。
自分の英会話スキルが雑談できるレベルではないため、同じ部屋の人とは、あいさつと必要最低限の言葉を交わすだけ。友人は、他の人と普通に話してて楽しそう。英会話スキルがあったとしても、話していたかはわからないけど。実際に日本人がいても話したいと思いつつ自分から話していなかった。
お互いがお互いを配慮しつつ、夜は22時半前後には電気を消すことが多かった。
バッグに鍵をかける人は思ったよりも少なかった。
ある朝に、起き上がらずにうとうとしてたら、目の前で金髪美人が下着を着替えだすラッキースケベハプニングもあった。

■サンクトペテルブルクの宿

サンクトペテルブルクはホテル「エル・ルームズ・アパートメント」で友人と同じ部屋。
部屋はいいところだけど、行くまでが難関すぎた。
地図の場所に行くと、それっぽい場所がなく、探しに探して、その建物のすぐ近くの普通のアパート的なところらしいことまでわかる。道を聞いてくれてたのは友人。
そのアパートも、玄関のドアの開け方わからないし、部屋の前まで来ても部屋番号しかなく確信が持てず。インターホンを押すも反応がない。
何回か押して、強く押してみると、奥で音が鳴るが聞こえ、その宿の主人が出てきた。ロシアはしょっぱなから洗礼受けてた。

睡眠は、思いのほか、普段どおりな感じで眠れた。足が疲れて眠りにくかったり、のどが痛くて眠りづらかったりしたけど。

■建物

ヘルシンキもサンクトペテルブルクも、商業施設がたくさん構えていることが少なく、洋風の建物の1階に店を構えてることが多かった。
そのため、街並みが綺麗だった。

■人

ヘルシンキもサンクトペテルブルクも顔立ちのいい美形の人が多い。
私はヘルシンキのほうが美人が多いと感じたけど、友人はサンクトペテルブルクのほうらしい。
髪型はそれほど多くなく、ヘルシンキの20歳前後の女性は、真ん中か7・3で分けて垂らしてるだけか、ポニーテール、たまにお団子の人が大半。
スーツを着ている人はほとんどいなかった。

■店

ヘルシンキでは、「ヘイ!」「モイ!」と気軽に声をかけてくる。
空港にはタトゥーをした人や、店員同士で楽しそうにおしゃべりしている人。ヘルシンキやサンクトペテルブルクというよりは、海外は、店員とお客の立場が同じくらいなのだそうな。日本は「お客様は神様です」精神が根付いてる。
パチンコ屋なんかはなく、ヘルシンキでは、日本でいうところのコンビニやスーパーマーケットにデジタル表示のスロットが置かれていて、たまに少しの時間やっている人を見かける。
あと、ヘルシンキでは、土日はほとんどお店やってないと脅されていたけど、以外とやっていた。休みの店もあるし、遅く開いて早く閉まる店も多い。

■ご飯の味

めっちゃおいしいとか、めっちゃまずいとかはなかった。普通においしい。
フィンランドでは、ほとんどカフェだったので、普通の食事はしていない。

■カラオケ

サンクトペテルブルクで、デパートで人だかりができていて、歌を歌っている人がいた。初めは有名な歌手が歌っているのかと思ったけど、友人が、カラオケ大会だと気づく。しかも、店内に流れてる。みんなは変な顔をしてないので、わりと日常なのかもしれない。聞いてる自分たちは面白くてしょうがなかったけど。

■お土産屋

いわゆるお土産屋が集まる場所というのがあまりなかった。サンクトペテルブルクでは、友人はマトリョーシカを買っていたけど、自分はスーパーで食べ物だけ。
ヘルシンキも、スーパーで買うことが多かった。あとはムーミン関係。

■トイレ事情

ヘルシンキもサンクトペテルブルクも、トイレの男女のマークの違いが、形だけというところが多かった。言葉が書いてたり、色が違ってたりは、たまたまあまり見なかっただけかもしれないけど、見ることが少なかった。
ちなみに、ロシアは、便器にトイレットペーパーを流さないらしい。わきにあるゴミ箱に入れるらしいら。どうりで一回で流れないことが多かったわけだ。

■Wi-Fi事情

けっこう使える場所が多い。フリーWi-Fiだけで乗り切った。
ただ、街中の道路などではさすがに使えない。日本でも、よく道をたずねる外国人がいるが、Googleマップで見ればいいのにと思っていたけど、もしかしたらネットに繋げられないだけなのかもしれない。
地図は、Googleのオフライン地図をダウンロードしていたので、便利だった。

■ハプニング

ヘルシンキではエロハプニングくらいしかなかったけど、サンクトペテルブルクは容赦なかった。
ホテルの場所がわからない。
英語がほとんど通じない。
5000ルーブルを受け取ってもらえない。
クレジットカードが使えない。
隣接してる博物館に間違えて入る。
写真を撮ったら200ルーブルせびられる。
店員さんが心なしかつめたい人が多い気がする。
美術館で写真を撮っている人たちに「どいて、どいて」とジェスチャーでされる。
地図が少ない、あっても間違っている。
つながれていないでかい犬が歩いている。
もう、最後のほうは、店員さんが怖くて、「上司に成果を報告する部下」みたいになってた。なにを言われるかびくびくしてた(なに言ってるかわかんないんだけど)。
そして、サンクトペテルブルクから帰る日も、列車の乗り場がわからず、無事乗れたら、自分たちが座るべき場所に誰か座っている、出国審査のときだけ私の荷物をチェックされる。最後の最後まで気が抜けなかった。
私はひとり心の中でこう思うのであった。おそロシア……。